コラム〜と麦

他分野で活躍する各業界のエキスパートが其々の目線で麦を語ります。

麦についてのあれこれ

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奥田真希 株式会社マキコミ(代表取締役|PRプランナー)

麦、麦、麦、麦。

身近な麦なのにイメージが分散しがちな麦。
なんでかというと、身近だからなのだろう、と逆説的に思います。

品種や加工じゃなくて、今回は、芸術作品における麦から麦のイメージをつらつらします。

麦は芸術においても、様々なメタファーとして使われています。
まっすぐ空に向かう麦は、成長や可能性を。
風に吹かれている麦は、逆境に立ち向かう強さを。
収穫されてうず高く積まれた麦は、成功や明るい未来を。

それぞれ象徴しているんだろうと、思います。

ゴッホは小麦めっちゃ描いてます。
ゴッホ=ひまわりっていう人もいると思いますが、私にとってはゴッホ=麦です。
ゴッホはライフサイクルの表現をするために麦畑の比喩を用い、「種まく人」では希望や成長を、荒涼とした麦畑を描いた「カラスのいる麦畑」では絶望や人生の最期を描いている、と、されています。

ずいぶんも前のことですが、「カラスのいる麦畑」をアムステルダムのゴッホ美術館で観ました。あろうことか、麦畑の中にある、どこにつながっているのかわからない道を、「見えない未来/いつか来る終焉」とは思えずに、「挑戦すべき未来」って解釈したんですよね。黄金色の大地を進んでいく力強さを表現したのだと思い込みました。
ヨーロッパの美術館は学芸員による館内ツアーがよく開催されていているので、できる限りツアーに参加するようにしているのですが、このときも、一人で一回りしたあとにそのツアーに参加して、説明を受けて、本当の意図を知ることになります。当時は若くて、思い違いを笑い話にすることもできず、一人で恥ずかしくなったものでした。
よく観れば、空はどんよりと暗く、道も途切れているようにも見えて、なおかつ、麦は倒れているのです。
この絵のどこからポジティブなメッセージを受け取ったのか。幼少期におけるナウシカの刷り込みでしょうか。(ん?ナウシカが降り立った金色の野は麦畑で合ってますかね?)

モネも睡蓮ばっかり酔狂に書きまくった画家というイメージですけれども、ジヴェルニーに住んでいたときもプールヴィルに滞在したときも小麦畑を描きました。でもモネの麦畑は、もっと全体感としての平和さや安穏とした空気感を描いているような、気がします。
(緑で描かれると麦感が薄くなるのでしょうかね。)

歌ではどうでしょう。
中島みゆきの「麦の唄」は、どストレートに、麦の強さと未来への種まきを歌っています。人生の悲喜交交を麦に例え、地に倒れても夢破れても、前に進んでいく決意や、何世代にも渡る人生のつながりの表現は、どこかゴッホの考え方にも通じるような気も。

「麦に翼はなくても  歌に翼があるのなら
伝えておくれ故郷へ ここで行きてゆくと
麦は泣き 麦は咲き 明日へ育ってゆく」 
※「麦の唄」作詞・作曲:中島みゆき

異国の地に根を下ろしたマッサンの人生を描きつつ、もっと壮大な、遠い未来を感じさせるような歌詞。これは、感動のウイスキーづくりのドラマのための歌じゃなかったとしても、人生の決意と未来への力強い希望を描くにあたって、麦以外のメタファーが存在し得ないと思えるほど、唸るしかないほどの、ベストマッチ。
ありとあらゆる種類の麦のテーマソングと言っても過言ではないと思いませんか?

中島みゆきの「麦の唄」の華々しい登場の前には、麦についての歌、といえばオヨネーズ一択となりますでしょうか。福島弁で歌われる「麦畑」はオリコンヒットチャートにもランクインし、子供も口ずさむほどの大ヒットだったと思いますが、オヨネーズはこの曲でデビューし、このあと、小麦ちゃんというアンサーソングと、麦畑パート2、麦ふみダンボ、ランバダ麦畑と、もう麦畑をこれでもか、これでもか、と、こねくりまわして、あらゆる手法で楽曲化し、リリースします。
麦を歌うためのユニットですね。
ちなみに、「麦畑」というタイトルですが、中身はスィートなプロポーズ用ラブソングで、麦畑はプロポーズのシーンとしてだけ登場します。さだまさしの亭主関白とは真逆を行くほどに平身低頭、「ずっと好きだったの!お嫁に来てくれるなんてうれしいーー!」「お嫁にもらってくれるなんてうれしいーー!」という歌です。やんだたまげたな。

亭主関白のさだまさしも「ひと粒の麦」という歌を出していますが、こちらはアフガニスタンで医療活動のみならずインフラ整備に多大なる貢献していたにも関わらず、夢半ばで銃弾に倒れた中村哲さんに捧げた歌です。

「一粒の麦を大地に蒔いたよ
ジャララ−バードの空は蒼く澄んで
踏まれ踏まれ続けていつかその麦は
砂漠を緑に染めるだろう
※「ひと粒の麦 ~Moment~」作詞・作曲:さだまさし

と、「麦を蒔く」というのは「希望の種を蒔く」に等しい意味合いを持つのですね。
この、ひと粒の麦の歌詞とゴッホが麦に投影した死生観も、共通しているのは、あれですね、世界ナンバーワンベストセラー、「聖書」にあるキリストの言葉です。

Very truly I tell you,
Unless a kernel of wheat falls to the ground and dies,
It remains only a single seed.
But if it dies,
It produces many seeds.
一粒の麦は、落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ。
(ヨハネによる福音書12章24節)

「おい、大事なことを言うぞ!」という前置きに、もう、聖書の強い意志を感じます。
ちいさなちいさな麦の一粒が希望の一粒だと思うと、愛おしさすら感じます。

さて、明日、どんな麦のアートに触れますか?
私は中島みゆき聞きながらハイボール飲んで号泣して、一人カラオケします。

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