餃子、好きですか?
餃子研究家調べでは日本人はだいたいみんな餃子好きです。一度だけ「餃子嫌いです」と言われたことがあるので、みんなではありません。びっくりして餃子が嫌いな理由を聞き忘れてしまったのですが、あの方はなぜ餃子嫌いだったのでしょうか。
はじめまして、餃子研究家です。
美味くて楽しい「餃子」を日々研究しています。餃子のレシピを考えて、餃子をつくって、餃子を食べたり皆さんに食べていただいたりしています。
例えば、こんな餃子をつくります。
〈マッシュルーム餃子〉です。
まるごとの生マッシュルームにパンチェッタとエシャロットとブロッコリースプラウトを刻んだものを詰めて、餃子の皮で包んで焼きました。シャンパンなどに合わせるとより美味しくいただけます(マリアージュ!)。
この餃子を餃子会で披露したり、ケータリングで提供したりすると、必ずといっていいほど勃発するのが、〈マッシュルーム餃子〉は「餃子」なのか論争です。
「マッシュルームなのに餃子?」とか「スキマがあいているのに餃子?」というコメントに続き、「これは餃子じゃないのでは?」と言われるのです・・・どう思いますか?
〈マッシュルーム餃子〉は「餃子」なのか、「餃子」ではないのか
今回はこの場を借りてこのマッシュルーム餃子論争に決着をつけたいと思います。ずばり〈マッシュルーム餃子〉は「餃子」なのか、「餃子」ではないのか、です。
そもそも、なぜ〈マッシュルーム餃子〉は「餃子」ではないと言われるのでしょうか。まあ、確かに、いわゆる一般的な餃子っぽくはありません。
「餃子」とは
いわゆる一般的な餃子とは、の分かりやすい基準を知るべく広辞苑を開いてみました。「餃子」とは「小麦粉をこねて薄く伸ばした皮に、挽肉・野菜を包んで焼き、または茹で、あるいは蒸したもの」だそうです。誰もがイメージするいわゆる一般的な餃子ですね。
なので、仮に「小麦粉をこねて薄く伸ばした皮に、挽肉・野菜を包んで焼き、または茹で、あるいは蒸したもの」を「餃子」としましょう。
すると、〈マッシュルーム餃子〉は
1.食材(マッシュルームを使用している。挽肉・野菜などの一般的に餃子に使われる食材が使われていない。)
2.包み方(全体が完全に包まれておらず、スキマがある。一般的な餃子というよりも焼売に近いビジュアル。)
の2つの点を理由に「餃子」ではないと言えてしまいそうです。
確かに〈マッシュルーム餃子〉は一般的な餃子の定義にはあてはまりせん。
しかし、そもそも餃子は「小麦粉をこねて薄く伸ばした皮に、挽肉・野菜を包んで焼き、または茹で、あるいは蒸したもの」なのでしょうか。食材は挽肉・野菜に限るのか。全体が皮で完全に包まれている必要があるのでしょうか。
ここからは餃子の定義を改めて考えていきたいと思います。はたして「餃子」とは何か。
餃子の歴史辿ってみる
まずは、餃子の歴史を辿ってみました。
ご存知のとおり、日本の餃子は中国から伝わってきたものです。
日本で初めて餃子を食べたのは水戸藩第2代藩主徳川光圀公と言われています、「水戸黄門」として知られるあの方です。[舜水朱氏談綺]という書物に、明から招かれた儒学者である朱舜水が徳川光圀公に献上した餃子のような食べ物が記載されています。「福包(ふくつつみ)」と呼ばれ、鴨肉とクコの実や松の実などを小麦粉の皮で包んだものだったそうです。
その後、餃子が日本に広まったのは、第2次世界大戦後のことです。諸説ありますが、中国の満州へ移駐していた日本兵が故郷の宇都宮に戻った際に、満州で食べていた餃子を再現したことがきっかけだといわれています。当時満州へ移駐していた大日本帝国陸軍第14師団の師団司令部は宇都宮に置かれ、師団は宇都宮で編成されていました。
中国で餃子と言えば水餃子で、主食として食べられます。焼き餃子は余った水餃子を焼いて食べるもので、一般的ではありません。日本では米を主食とする日本人の食文化に合わせて、水餃子に比べて薄い皮に包んで焼くという餃子のスタイルが確立され、「餃子」として根付いていきました。いまや日本の「餃子」は独自の進化をしていった日本料理のひとつになっています。
中国での餃子の歴史は古く、紀元前600年頃の遺跡から餃子のような食べ物が見つかっています。その後、唐の時代(618~907年)の古墳からは壺に入った餃子の化石が発見されています。明の時代(1368~1644年)になると「餃子(チャオズ)」という名が誕生し、清代末期(1800年以降)には多くの書物に餃子が登場するようになり、中国で餃子が発展していきました。
さらに餃子の歴史を辿ると、古代メソポタミア文明の時代にまでさかのぼります。古代メソポタミア文明の遺跡から、小麦粉の皮に具となる食材を包んで加熱した食べ物が見つかっているのです。この食べ物が餃子の起源となるものだといわれています。これがシルクロードなどを伝って中央アジア、南アジア諸国を経て、果ては中国まで、一方でヨーロッパ諸国にも伝わっていきました。
この「餃子」と同じ場所で始まり、同じように世界へ広まっていったものがあります。
『麦』です。
『麦』の中でも小麦の栽培は、今から1万年ほど前に、チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミアで始まったといわれています。小麦はその後、シルクロードなどを伝って中央アジア、南アジア諸国を経て中国まで、またヨーロッパ諸国にも伝わっていきました。
小麦の栽培が始まったのち、小麦を挽いて作った小麦粉の皮に食材を包んで加熱した食べ物(餃子の起源となるもの)が誕生しました。そして、小麦の歴史を辿るとそのまま、餃子の歴史を辿ることになります。まさに餃子の歴史は小麦の歴史とも言えそうです。
小麦と餃子のような食べ物は、世界にひろがり、日本で発展した「餃子」のように、それぞれの土地の風土や文化に根付き、その国の郷土料理となっています。
例えば、
- トルコのマントゥ(小麦粉の皮に羊肉を包んで茹でるまたは蒸したもの)
- ドイツのマウルタッシェン(小麦粉の皮に肉、ほうれん草、玉ねぎなどを包んで茹でたもの)
- イタリアのラビオリ(小麦粉の皮にひき肉、野菜、チーズなどを包んで茹でたもの)
- ポーランドのピエロギ(小麦粉の皮にひき肉、野菜、マッシュポテト、フルーツなどを包んで
焼くまたは茹でたもの)
- ロシアのペリメニ(小麦粉の皮に肉や野菜を包んで茹でたもの)
- キルギスのマントゥ(小麦粉の皮に羊肉、牛肉、ジャガイモ、カボチャなどを包んで蒸す
揚げるまたは茹でたもの)
- ネパールのモモ(小麦粉の皮に肉と野菜を包んで蒸したもの)
- インドのサモサ(小麦粉の皮にひき肉やじゃがいもなどを包んで揚げたもの)
などなど、世界には多くの「餃子」があります。それぞれ、包まれている食材と調理方法は様々ですが、共通しているのは「小麦粉の皮」で包んでいるという点です。
世界の餃子の共通点は「小麦粉の皮」です。このことから「餃子」であるための一番重要な要素は、包まれている食材やその調理方法ではなく、「小麦粉の皮」で包むこと、だと言うことが出来るのではないでしょうか。
餃子の起源やその歴史から、
「餃子」とは「小麦粉の皮に食材を包んで、調理(焼く、茹でる、蒸す、揚げるなど)したもの」であるということができます。つまり、基本的に「小麦粉の皮」に包まれていれば食材や調理方法を問わず「餃子」です。
「餃子」が世界中で食べられていることからも分かるように、「餃子」にはどんな食文化にも受け入れられる多様性があります。餃子の歴史を辿ったら、餃子の多様性はまさに、様々な食材と合い、様々な調理が可能な小麦(小麦粉)の多様性に因るものであることが改めて解りました。
餃子のカタチを考えてみる
ここまでで、「餃子」の重要な要素は「小麦粉の皮」で包むことである、と分かりました。次は、「包む」について考えてみたいと思います。「包む」とは具体的にどのような状態をいうのか。全体をおおう必要があるのか、それともスキマがあってもよいのか。
「包む」の意味をまた広辞苑で調べてみました。「包む」とは、「①全体をおおって中にこめ入れる。②とりまく。まわりをかこむ。③心の中にかくす。ひめる。」だそうです。なるほど、「包む」には「全体をおおう」という意味が含まれます。
餃子の起源や歴史から考えた餃子の定義である「小麦粉の皮に食材を包んで、調理(焼く、茹でる、蒸す、揚げるなど)したもの」の「包む」をこの意味と考えるならば、「餃子」であるというためには小麦粉の皮で「全体がおおわれている」必要があります。
確かに、世界の餃子も全体がおおわれているものばかりです。しかし、本当に全体が小麦粉の皮でおおわれていなければ「餃子」ではないのでしょうか。
そこで様々な「餃子」のカタチを調べてみました。そうしたらありました、全体がおおわれていない餃子が。
例えば、四喜餃子。中国では旧正月などのおめでたい時に食べる餃子で、四色の飾りを乗せるため、餃子の上部にはスキマがあります(中国では「四」という数字はめでたい数字だそう)。
また、棒餃子の両端にスキマのあいた状態の包み方も、中国に伝わるひとつの餃子の包み方だそうです。棒餃子は日本でも比較的目にする機会がありますよね。
中国には、その地域や家庭、また食材や調理方法によって異なる、様々な餃子の包み方があります。餃子の包み方はひとつではありません。
餃子のカタチを調べてみたら、
「包む」とは「全体がおおわれている状態だけを意味するものではない」
ことが分かりました。餃子の「包む」には、一部にスキマが開いている状態である「くるむ」の意味も含むと言えそうです。
餃子は包み方によってその味わいも変わってきます。同じ食材を包んだとしても、包み方によって、火の通り方が違い、口に入れた時の食感が違います。私も餃子研究で新しい餃子を考える時には、いくつかの包み方を試しながら、その食材や調理方法に合う包み方を探しています。
いやはや、しかし、こんなにも自在にカタチを変えることができるものが小麦(小麦粉)の他にあるでしょうか。小麦粉に水を加えてこねれば、粘り気と弾力のある生地になり、厚さや大きさなど自由自在です。もちろん餃子の皮だけでなく、パンやうどんなどにもなります。「餃子」がさまざまなカタチとなって発展することができたのは、小麦(小麦粉)の汎用性によるものだとつくづく実感します。おそるべき『麦』パワー。
餃子の定義
餃子の歴史の辿り、餃子のカタチについて考えてみたら、
「餃子」とは「小麦粉の皮で食材を包み(またはくるみ)、調理(焼く、茹でる、蒸す、揚げるなど)したもの」
であると定義することが出来ました。
ではこの餃子の定義に照らし合わせて、改めて〈マッシュルーム餃子〉について考えてみましょう。
マッシュルーム餃子論争の決着
まず、「1.食材」について。
食材は問わず、小麦粉の皮で包まれていれば「餃子」です。〈マッシュルーム餃子〉は「小麦粉の皮でマッシュルームなどを包んで焼いたもの」なので、「餃子」であると言えます。
次に、「2.包み方」について。
全体がおおわれていない、くるまれている状態も、「包む」の意味に含まれます。〈マッシュルーム餃子〉は「マッシュルームが小麦粉の皮に包まれている(くるまれている)」ので、「餃子」であると言えます。
〈マッシュルーム餃子〉はまぎれもなく「餃子」です。
いかがでしょうか。これで〈マッシュルーム餃子〉は「餃子」なのかという論争に決着がつきました。次回の餃子会からは堂々と〈マッシュルーム餃子〉を「餃子」として披露したいと思います。
「餃子」と『麦』を楽しむ
今回、餃子の歴史と餃子のカタチから「餃子」を改めて定義して、〈マッシュルーム餃子〉は「餃子」なのかという論争について考えてみました。
その中で、『麦』のもつ多様性、汎用性に触れ、「餃子」がこんなにも日本や中国、そして世界で愛される料理となったのは、その『麦』パワーのおかげであると実感しました。
どんな食材でも、どんな調理方法でも、小麦粉の皮で包めば「餃子」です。既成概念にとらわれず、いろんな食材を小麦粉の皮で包んで調理して、「餃子」をそして『麦』を楽しみましょう。