5月の空に輝く黄金色の麦畑
商社マンとしてその社会人人生をスタートさせたあと、そのフィールドをセールスプロモーション業界に移し、マーケティングをはじめ東京モーターショウなど数々の大イベントをプロデュースするなど華々しい業界を経て、58歳で大分市に移住。地元新聞社に籍を置きながら
地域活性の活動を展開する中で、[美味求真・大正14年木下謙次郎著]を通じて、大分の食材探求、そして、大分の焼酎メーカーと出会う。その会社では、宇佐市と協力し地元小学生が麦を育て、収穫し、食べるという食育プロジェクト「麦の学校」を長年サポートしていた。そのメーカーの会長に「麦の学校」への思いを浦松氏が訊いた時のことだ。
浦松氏:そしたらね、会長さんが言うんですよ。子供たちは中学校、高校を卒業してやがて進学、就職をむかえ、その多くが地元を離れて県外へ出ていく。将来、大きくなった子供たちが[君の故郷は?]と聞かれたときに、“私の故郷は大分の宇佐という街です”。そのあとに、“5月の連休の頃になると、辺り一面に金色の麦の穂がゆれる美しいところです”って言わせたいじゃないですかと。この話に私はおおいに感激して、麦って素晴らしいなと大麦にはまっていったんですよ。私と大麦の出会いの原点と言えるかもしれません。
大分から全国へ広がる大麦ワールド。
その後浦松氏は大麦のことを調べ、どんどんその魅力にひかれ、ついには大麦100%の“大麦めん”を製品化するまでになった。
浦松氏:大分には麦焼酎や麦味噌といった全国的にも有名な大麦の加工品があるわけだから、大麦の麺があってもいいのでは?大麦は健康に良い!きっと社会に受け入れられる時が来る!と思ったのがきっかけです。
その後、さまざまな試行錯誤と色んな方々の協力の基、大分県産の大麦と水と塩だけでできた“大麦めん”が完成。大麦の癖のない美味しさが幅広いジャンルの料理にも使え、ひいてはアレルギーある子どもの救世主としても注目される。
大麦の素晴らしさに魅せられた浦松氏は、“大麦めん”に留まることなく精力的に動いた。大麦の良さ、美味しさを一人でも多く人に知ってもらいたいと、大麦のワークショップをはじめ、地元の大学と連携した大麦プロジェクト、大麦を切り口とした農業活性プロジェクトなど多彩に大分、そして熊本での活動を積極的に展開した。
大分で大麦100%麺の製造に取り組んでいたそんなある日、浦松氏に農林水産省政策研究所から1本の電話が来る。よく考えると、この電話での出会いがきっかけで、大麦普及への活動が加速し、そして、九州を再び離れ、現在の農研機構 本部事業開発部ビジネスコーディネーターとしての活動になったと云っても過言ではない。
浦松氏:農研機構というのは研究者の集まりです。新品種の開発、食品研究など研究者たちの価値ある知財をいかに活用するか、こんな品種が開発できないか、こんな食品ができないかと研究者のフィールドを団体、企業の協力を頂いたきながら作るのが農研機構での私の仕事ですね。言ってみれば、品種から栽培、加工(一次、二次)そしてマーケットインまでのチェーンフードビジネスの構築をめざした活動ともいえます。担当としては、大麦のみならず米粉、小麦、大豆はじめ多くの品種とエリア担当などもしています。ただ、大麦をもっと知ってもらいたい、食べてもらいたい、そんな思いで立ち上げた「大麦農食連携研究開発プラットフォーム」での活動も継続しています。
プラットフォームで浦松氏は、全国を舞台に大麦の理解と普及活動、また大麦の需要拡大と産地活性化に取り組む。
なかでも力を入れているのが、国産大麦の需要拡大だ。そこで最大のネックになっているのが一般食材としての認知普及とコストなどのマーケットバランスだ。
浦松氏:国産はいいけど、高い。ここを何とかすれば、需要は広がるんです。そのためには、これまでの在り方にこだわらず、業界をあげて生産から販売までの過程を見直し、効率的な流通のシステムを新たに作り、適正な価格が設定できるかどうかですね。大麦のことをまだまだ知らない消費者はたくさんいますし、国産の大麦を使いたいという需要はあるんですから。
身近なところにも、チャンスの芽はあるという。
浦松氏:大麦はお米に混ぜて食べるのが通常。しかし、昔の大麦と現在の大麦はすべてにおいて大きな進歩があります。それは、私の所属する農研機構をはじめ公設試験場の研究者の方々による[おいしく、食べやすい品種]の改良そして、全麦連そして加盟精麦会社による加工技術の向上によるところが大きいんです。この進歩のおかげで、大麦の活躍する場とその可能性がどんどん広がっています。例えば、大麦粉。小麦粉があったから誰も堅い大麦を粉にして活用しようと真剣に考えなかったと思うんです。しかし、粉にしてみると、意外にもその特性は大きな可能性を秘めています。また、リキッド化したり、用途は益々広がります。
まあ、固い話しは置いといても、例えば、日本人は結構ビール好きなんです。地元で生まれたビールがあればうれしいし、飲むでしょう。ドイツのように各地に街それぞれのクラフトビールを飲ませるホールができ、賑わえば、地元生産者の意識も変わり、大麦栽培も活性化されていくんです。こんなこともできると嬉しいですね。
大麦の可能性が未来を拓く。
食物繊維(βグルカン)を豊富に含み、低糖質、低アレルギーという大麦の特性が、機能性食品として徐々に認められ、ちょっとした大麦ブームともいわれる。しかし、浦松氏に楽観はない。
浦松氏:今、機能性食品だ、健康食品がって騒がれているのは、都市部の意識の高い人たちの間でだけなんです。マーケットを広げるためには、ローカルで受け入れられないとダメなんです。そのためには、大麦のおいしさ、その機能性をしっかり理解してもらい普及していく。そのうえで、大麦を機能性食材としてではなく一般食材として、認知してもらうことが必要です。
この先、日本社会の高齢化は進み超高齢化長寿社会を迎える。その時、大麦がその力をさらに発揮できると浦松氏はいう。
浦松氏:大麦の持つ機能性成分β‐グルカンとあわせて、低糖質、低アレルギーな特性は、主食穀物としてのみならず栄養補助食品、食物繊維を多く含む食材としても注目されています。この先、年齢に関係なく提供できる商品の研究、開発がさらに進めば、高齢者食、介護食に始まり、病院食、災害食など、多様なシーンに提供される健康で美味しい一般商品としての活用される日が来ます。
大麦生産の現場、その加工、流通の在り方などまだまだ改善の余地が大いにあるというが、次から次へと浦松氏が語る大麦の未来には黄金色の確かな光が輝いていた。